店長の山本晴一です。
62歳、酉年生まれで血液型はB型。
バタバタと自分の興味ある事に首を突っ込んで会社内をかき回して歩き、しかも、それだけでは足りなくて、世界を飛び回っている「うるさいオヤジ」です。
私の興味ある事というのは「金沢の食文化」と「糀&麹」です。
学校を卒業して最初に会社勤めをさせて頂いたのは金沢の酒造会社でした。父のコネで入社させて頂きました。
ここで出会ったのが、その当時は市販されておらず、業界主催の鑑評会に出す為だけに創られた「大吟醸酒」でした。
蔵の杜氏さんからちょこっとだけ舐めさせて頂いたのが衝撃的な香りの良い素晴らしいお酒でした。『なんなんだ~!この香りは?』
「花の様な香り」で生まれて初めて=嗅いだことの無いえもいわれぬ良い香りでした!本当に、衝撃的だったのです!
頭の中はたくさんの疑問符?だらけでしたよ(笑)
お米と米糀だけを原料にして、どうしたらこの様な衝撃的な香りが出来上がるのだろう?って強く強く心に残りました!
それから、2年半経った頃に、生家の「醤油屋」に戻るように父に言われて、(まあ、親犬が子犬の首を加えて動かす様な感じで)言われるまま今の『ヤマト醤油味噌』に入社しました。
入社して直ぐに感じたことは、『この会社・・・・息が出来んくらい古いなあ・・・』って事だったと言う思いを、今も記憶しています。
でも自分が生まれた処、育ててもらった商売です。これからここで生きて行く拠り所を創らなければなあという思いだけは強かった!
それで、何を考えたかと言うと、「今までの醤油屋がやっていない新しい商品を創りたい!この会社しか創れない、ここの会社の思いを活かした商品が出来ないかなあ・・・」と言う気持ちで仕事をしていた時でした。
その時、ふと思い出したのが、修業時代に味見した、あの「大吟醸酒」です。『あ~、あんな良い香りの醤油があったら良いのになあ・・・』 って心の中で強く強く願いながら仕事をしていたら、いろんな人から、いろんな情報を頂いて、いつの間にか家の「売り物」が出来上がりました!
それが当社の看板商品の「ひしほ醤油」=搾りたて生(なま)醤油の誕生です。1984年の事です。日本初の搾りたて(生)の商品化でした。大吟醸酒に勝るとも劣らない(←自画自賛)香りの良い醤油です。しかも、これは製法に特徴があり、当時は生ビールにしか使われて居なかった、「ミクロフィルター」で生揚げ(きあげ)醤油をろ過して商品化したものです。普通のお醤油(世の中の99%以上の市販の醤油)は加熱殺菌してから珪藻土ろ過をしてから瓶詰め=商品化されています。ところが、当社の、この「ひしほ醤油」は加熱殺菌する代わりに「ミクロフィルターろ過」という当時は最新の技術を使い、しぼりたての醤油を商品化したのがこの時でした。
東京都内で最初にこれを採用してくれたお店が「玉川高島屋の地下クッカリークックのGrocery売り場でした。それから日本橋高島屋本館地下1階の食料品売り場でも販売され、高島屋主催の「グルメのための味百選」にも呼ばれ、お江戸のお鮨屋さんでもご採用頂きと、段々と商いの道が拓けて行きました。2000年には、人との出会いがあって、アメリカのリッツカールトンホテルチェーンや、ウェスティンホテルチェーンに、この「ひしほ醤油」をご採用頂きました。
その後2005年には、これも人との出会いがあって、フランスのパリの三ツ星レストラン「ルドワイヨン」や「アストランス」等でも「ひしほ醤油」をご採用頂き、世界の料理界へのドアが拓けて行きました。
この冒険談は、また別の機会に・・・
「店長日記」の第一弾は、私の自己紹介を・・・ 強い思い(電波みたいなもの)と、それに魅かれて集まる人と人との出会いがあってこそ、初めて生みだされるモノやコトがあるのだなあってお話でした。
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店長:山本晴一
地元の酒造会社で修業を積んだのちに家業の「株式会社ヤマト醤油味噌」に入社。
修業時代の吟醸酒づくりにヒントを得た生の醤油「ひしほ醤油」を日本で初めて完成させた。
以来、フランスの三ツ星レストランをはじめ欧米の百貨店からも引き合いを受ける。
その後現在にいたるまで“あたらしい伝統食”を数々生み出している。
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