それは、出会いからはじまりました。
1988年にまで遡ります。
初めて出展した食品の展示会で出会った米国人と商談成立して握手しました。
展示会終了した直後に、私は、彼の会社を訪ねました。
場所は、米国の東海岸にあるボストン市の郊外でした。
展示会場のサンフランシスコから一路ボストンへ飛んだ。
雪の積もる寒い冬の時期でした。約束したミーティングを終えて、高揚した気分でした。
だって、ようやく念願だった米国市場に金沢から輸出出来ることが決まったのですから!
嬉しい!「あー、10年かかったなあ・・・思い立って成約に至るまでに・・・」、でも同時に実際の輸出までは、法務をクリアする為に、簡単には済まない膨大な量の書類の用意が要るなあって宿題をもって帰るという事も片方にあったのも事実でした。
さて、夜の飛行機に乗るまでに、一日時間があるわ・・・どこか観光するところがあるかなあ・・・って考えた時に、ふと閃いた!
「そうだ!ボストン市内には、有名な久司道夫さんって言う日本人の方が住んでいらっしゃるはず!」
マクロビオティックスの本家本物に逢ってお話をお聞きしたいと思って、で電話帳を繰って調べた。電話した。そうしたら、なんとご本人が電話に出て「あー、ボストン市内から電話しているのなら、せっかくだから家にいらっしゃい」て、見ず知らずの私の話を聞き容れてくださいました。
お伺いしてお話をお聞きすると、柔らかい物腰ながら芯の有る日本人。家の祖父みたいな印象です。
私が「日本にいらっしゃる時に、金沢のヤマト醤油味噌までお運び頂けませんか?」ってお聞きすると「はい、参ります」とお応え頂きました。奥様が金沢の俵屋さんの「じろ飴」が大好きなんですって!
夏の頃に、金沢の当社にお越し頂くことに成りました。
一通り、工場をご案内してから、我が家で私の両親と一緒にお茶をする機会を作りました。その時、久司先生は、こんなアドバイスを私にしてくれました。
「山本さんのところは、米糀味噌を作っているでしょう?その米糀を使って、甘酒をおやりなさい!出来たら“玄米甘酒”が良いなあ!今の世の中に出回っているのは“酒粕甘酒”です。これは戦後に生まれたもので、日本で言う伝統的な甘酒は、米糀で作るもので、これは体にも良いし、味噌屋の米糀で作れると良いなあ、山本さんのところなら出来るはずや!」ってお話しを頂きました。
僕は、心の中で「それは面白い!今までずっと味噌づくりの為に造っていた米糀を活用して、全く別の“玄米甘酒”って言う新しい商品(ドリンク)が出来れば凄い楽しい、わくわくする話やなあァ・・・」って思ったのに、直後に僕の口から出た言葉には自分でもギョッとしました。
『先生、それは無理やわ!大体が飲料って言うと殺菌温度が特殊だし、うちにはそんな清涼飲料用の瓶詰め充填機や、殺菌設備が無いから無理無理!』って一生懸命に出来ない理由を挙げては力説している私が居りました。今考えても赤面します。
その場は私の父が話を引き取って穏やかに終了したと思うのですが、同時に母は玄米御握りを久司先生に帰りの電車で食べるようにとお持たせしたようです。
その後、ボストンからお手紙を頂き、「甘酒は出来ましたか?出来たら知らせてね、玄米御握りがとても美味しかったです。ご両親によろしくお伝えください」とのメッセージを頂きました。
心に染みる言葉でした。
結局、私の弟=ヤマト醤油味噌の工場長(日本初の甘酒博士=金沢大学PhD)の協力を得て、「玄米甘酒を創るぞ!」と決意したのが2004年のこと。設備投資をして販売にこぎつけたのが2005年の事でした。
それでも、日本では未だ「玄米甘酒」も「糀甘酒」も馴染みがなく、スーパーの店頭で試食を出しても、「車で来ているのでお酒は飲めない」とか、お子さんに試食のコップを勧めると「貴方、子供にお酒を渡そうとするなんて常識の無い!」とのお叱りの声の方が多く、また玄米甘酒の香りを嗅ぐと「糠の匂いがして嫌い!」(実際に飲んで試した方は、そんな事は無いとおっしゃって頂けるのですが)と見ただけで、「白い色で無いと糀甘酒では無い」と言われて、試飲にまでは手が出ない状況が長く続きました。試練の時代で、その後3年間は全くと言って良いほど売れず、会社はこの甘酒の為だけにした、多額の設備投資によって、安全圏から出て、危険水域に入りかけた時代なのでした。
後(2012年)に私の弟で工場長が金沢大学で工学博士号(PhD)を「あまざけ」をテーマに取得してからは、これらの活動に理論的な背景も加えて、説明できるようになりました。
日本初の「あまざけ博士」として、その研究成果を基に、「糀ソース」等、彼は今も、抜群の商品開発力を発揮しています。
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店長:山本晴一
地元の酒造会社で修業を積んだのちに家業の「株式会社ヤマト醤油味噌」に入社。
修業時代の吟醸酒づくりにヒントを得た生の醤油「ひしほ醤油」を日本で初めて完成させた。
以来、フランスの三ツ星レストランをはじめ欧米の百貨店からも引き合いを受ける。
その後現在にいたるまで“あたらしい伝統食”を数々生み出している。
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